「人生を決めた」私のターニングポイント

人生には幾度かのターニングポイントがあります。

「私の人生を決めた」とも言えるターニングポイントは、
昭和37年4月、22才の時でした。

洋裁学校から、「銀座屋洋装店のデザイナー募集がある」と連絡が入り、すぐ試験に臨みました。
銀座屋洋装店は、金沢の繁華街片町にあり、市内でも有名な洋装店です。
県外からも数名の応募者がいましたが、6倍率で合格しました。

社長の鶴見菊枝氏は、
「合格点数は全員同等だけど、あなたのデザイン画と、ファッションコンクール全国大会などで、文部大臣賞など数々の賞を受賞されている篠田先生の助手なので採用しました。」と答えてくださいました。
篠田先生は、当時通っていた洋裁学校の先生で、私は助手をしていました。

毎年4月になると、懐かしく思い出します。
「デザイナーへの道」という、人生最大のチャンスを与えて背中を押してくださった先生方のご恩は、一生忘れることはありません。半世紀以上経った今でも心から感謝申し上げています。

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この写真は、
銀座屋洋装店のデザイナーとして働き出した、入社1か月位の時です。
女社長の鶴見菊枝さんと打ち合わせをしているところです。
デザイナーは「もう少し老け顔に」と、社長さんに言われ、
髪の毛は短く、近眼でもないのに黒縁の眼鏡をかけて、貫録を付けています。


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昭和39年11月ごろだったと思います。
地元の新聞の「北陸の花」というコーナーに載りました。
名前が「敬子」となっていますが、正しくは、「啓子」です。
不細工でブスな写りですけど、
私にとっては「人生の歩みの第一歩」です。
小太りのところに、
一晩で仕上げた服を着て、顔がはれ上がっています。






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金沢市観光会館(現在の金沢歌劇座)で、
男女合同のオーバーコートショーを行ったときの掲載記事です。
私は、女性部門の着付け担当責任者として、現場を担当しました。
少しかがんで、着付をしているのが私です。


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